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平政の守山教会ニュース
森のうた(2004年)

カトリック守山教会


■ No.27 2004年11・12月号

摂理について

 ここ数ヶ月間の、新聞の第一面の記事を思い起こしています。8月アテネオリンピック、9月浅間山噴火、大雨をともなった台風の上陸、しかも10月になってからも大きな被害をもたらした台風23号が日本列島を縦断して行きました。10月中日のリーグ優勝、そして、新潟県中越地震、自然の猛威を思い知らされた日々が続きました。噴火、台風、地震の被害にあわれた被災者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 僕の病気の方は順調に回復のほうに向かっていると思います。10月1日から仕事場の幼稚園に行き始めました。11月1日からは園児送迎バスの運転も始めました。おかげさまで体重の方も変ですが病気前よりも増えました。(司教館のコックさんに感謝。)療養中、司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズを何冊か読み返しました。その中のどの本であるか記していないので分かりませんが、こんな文をメモしておきました。「人類というものに多少の希望がもてるのは、その基本的な精神として矛盾にくびをかしげ、その克服をよろこぶということである。」

 今、「森のうた」7・8月号の「教会のカテキズム 摂理と悪」を読み返しています。そこでは「道徳的な悪」と「物理的な悪」を区別しました。先ほど被災者にお見舞いをいったばかりですが、自分の病気の事もあわせて考えて、教会のその教えは当事者にはつらいけど信じなければと思います。また、だから希望が持てるのだと思います。



 No.26 2004年9・10月号

神のはからいは

病院の窓から 上の題は典礼聖歌52番、詩篇90篇からとりました。入院中この詩篇を一日に何回も読みました。「教会の祈り」では第三木曜日の読書の時課に祈ることになっています。

 入院することになった胃癌切除手術に関わる7、8月の経過を簡単にまとめてみました。

 6月上旬から胃の空腹時にシクシクする不快感を覚えるようになり、市販の胃薬を飲んで対処した。しかし良くならない。7月6日、近くのクリニックへ行き、このクリニックで7月17日にバリウム、レントゲンの検査。結果は腫瘍。しかも早く入院して切除の必要があるとの診断。8月6日に「愛知県がんセンター」に入院したが、この日までに外来で手術に必要な検査をした。12日手術、胃の3分の2を切除。転移なし。23日退院する。入院から退院するまで18日間。

 お腹に約20センチの縦傷と少しの痛みが残ってはいますが、この過ぎた日々、何があったのかなぁーと考えこんでしまう今日です。しかし、術後生存率 57%と言われていますから、まだ安心できません。そしてよく思い返すと色々のことを考えたなぁーというのが本当のところです。その意味で詩篇90篇はよき指導者でした。

 典礼聖歌52番あるいは詩篇90篇を読んでいただき、続けてお祈りをいただければ幸いです。また、たくさんの心配り、ありがとうございました。

      残された日々を数えることを教え、
                知恵に向かう心を与えてください。 (詩篇90:12)

写真: 手術後 日の出(病院にて携帯電話カメラで)


典礼聖歌 52番(答唱詩編)
詩編90 / 1+2+4 3+5ab 4+5c+6 11+12 16+17

神のはからいは ♪再生

(楽譜)典礼聖歌 52番 神のはからいは
(歌詞)典礼聖歌 52番 神のはからいは
(楽譜)典礼聖歌 52番 神のはからいは



旧約聖書 詩編 第90編

主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。
山々が生まれる前から
大地が、人の世が、生み出される前から
世々とこしえに、あなたは神。

あなたは人を塵に返し
「人の子よ、帰れ」と仰せになります。
千年といえども御目(おんめ)には
昨日が今日へと移る夜の一時(ひととき)にすぎません。
あなたは眠りの中に人を漂わせ
朝が来れば、人は草のように移ろいます。
朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい
夕べにはしおれ、枯れて行きます。

あなたの怒りにわたしたちは絶え入り
あなたの憤りに恐れます。
あなたはわたしたちの罪を御前(みまえ)に
隠れた罪を御顔(みかお)の光りの中に置かれます。
わたしたちの生涯は御(み)怒りに消え去り
人生はため息のように消えうせます。
人生の年月(としつき)は七十年程のものです。
健やかな人が八十年を数えても
得るところは労苦と災いにすぎません。
瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。
御怒りの力を誰が知りえましょうか。
あなたを畏れ敬うにつれて
あなたの憤りをも知ることでしょう。
生涯の日を正しく数えるように教えてください。
知恵ある心を得ることができますように。

主よ、帰ってきてください。
いつまで捨てておかれるのですか。
あなたの僕(しもべ)らを力づけてください。
朝にはあなたの慈しみに満ち足らせ
生涯、喜び歌い、喜び祝わせてください。
あなたがわたしたちを苦しめられた日々と
苦難に遭わされた年月(としつき)を思って
わたしたちに喜びを返してください。

あなたの僕らが御業(みわざ)を仰ぎ
子らもあなたの威光を仰ぐことができますように。
私たちの神、主の喜びが わたしたちの上にありますように。
わたしたちの手の働きを わたしたちのために確かなものとし
わたしたちの手の働きを どうか確かなものにしてください。

(c)日本聖書協会 新共同訳



■ No.25 2004年7・8月号

声による絆考

 鳥、動物たちの群れを成しての繁殖期の生態を記録した映像を時々TVで見ます。それを見るたびに驚きをいつも持ちます。それはたくさんの数の中からどうして親は子を見つけるのだろうか、ということです。子の方は何処にいるのか分からない親に向かって一生懸命に声を出して自分の居場所を教えています。それも群れの中のすべての雛たちがそうです。雑多な音の中から自分の子の鳴き声を聞き分け、方角を知り、そばによって行きます。親が頼りにするのは「鳴き声」だけのようですが、何かもっと別の手段があるのではと思いたくなります。

 一方、人間はどうでしょうか。迷子になった子供は不安からか大声で泣いているのが普通に見られる風景でしょう。でもそこには「自分の声」を聞いて探し出してくれるのを期待している、自分も知らない本能が働いているのではと思います。そして子を捜す親はそんな声に敏感に反応できる能力を持っているように思えます。また、たとえ親でなくても親族、知人にも同じことが言えると思います。

 僕は幼稚園でも働いています。遊んでいる園児の声で誰なのか分かります。泣いている園児の声でも誰か大体分かります。群れを成す鳥たちに比べ数が少ないと言う条件を除けば、人間も「声」に答えるすばらしい能力を、しかも複数の対象者に対して持っているものだとあらためて考えました。

 「羊は、羊飼いの声を知っているので、ついていく。」(ヨハネ10:4)



■ No.24 2004年5・6月号

「生け贄」と「犠牲」と「聖体」について

 翻訳の困難さを今日考えてみます。技術科学分野や数式等の翻訳は比較的に簡単と聞いています。機械的に置き換えて意味が通じるのだそうです。一方一つの国の文明、文化を背負った文字は中々すっきり行かないとの事。このすっきり行かない事例のひとつを考えてみます。ミサ典礼書の第三奉献文から取りました。

 第三奉献文に「生け贄」という言葉が三回使われています。この翻訳の言葉が選ばれる過程でいろいろ議論があったそうです。「とうといいけにえを感謝してささげます。」「まことのいけにえとして認め、受け入れてください。」「罪のゆるしとなるこのいけにえが、」とそれぞれ訳され使われています。一回目の「いけにえ」はラテン語では「sacrificium」英語では「sacrifice」、二回目のそれはラ語では「Hostiam」英語では「Victim」、三回目のそれはラ語では「Hostia」英語では「sacrifice」、となっています。ラ語も英語もその本来の意味は「犠牲」と訳される言葉が使われています。日本司教団はその言葉を議論の結果「いけにえ」と訳す事に決めました。「生け贄」と「犠牲」の違いはどこにあるのでしょうか。日本人はふつう犠牲と言う言葉を「身代わりとなって他の人の不幸を背負う」事と考えます。そこから「生け贄」と言う言葉まで直ぐです。ミサの中で司祭は御聖体を拝領する前にそれを二つに裂き、一片をブドウ酒の入っているカリスの中に入れます。「犠牲」は犠牲となるものを「破壊して、聖なるものにする」の意味があります。


『カトリック教会のカテキズム』No.7

「摂理と人間の自由意志、摂理と悪、摂理と罪」について

 摂理とは「神がご自分の被造物をこの完成に向かって導かれるはからいのこと」と説明されています。また別の言葉で「出来事が進行する過程で神が絶対の主権を持っておられる」とも説明されています。この神の摂理に疑問を投げかけるのが「悪」の存在です。カテキズムではこの「悪」を物理的悪と道徳的悪に分けて考えます。

 「道徳的悪」。神は人間に「自由意志」を与えられました。その彼は自分の知性で判断し、自分の意志で行動します。神がこの世界の第一原因であるとすれば人は第二原因です。「神の創造の協力者」です。そして神はその彼が悪を選択する可能性を排除しません。そこに深い神秘が存在すると言われています。人間は第二原因として、ある範囲内で神に逆らい神の望みに反する事をしてしまいます。それが「罪」です。そしてこれが道徳的悪です。罪は人間から出るのであり神から出るのではありません。

 「物理的悪」。被造物は究極の完成に「向かう途上」にあるものとして造られました。被造物が完成しない限り悪をはらんでいます。

 聖アウグスチヌスの言葉「全能の神は・・・、最高に善であるので、悪からでも善を引き出すほどの力のあるかたでなかったとしたら、その業のうちに何らの悪の存在もゆるさなかったはずです。」



■ 枝の主日

 わたしたちは今日の典礼の中で、蘇鉄の枝を持ち、行列してお御堂の中に入ります。これはイエズス様のエルザレム入城を思い起こし記念することであります。行列の前に福音書の入城の個所が朗読されます。四福音書のこの個所を読み比べるとそれぞれ少しずつ違います。「マントを敷き、小枝を敷いた」人々は誰だったのでしょうかとの疑問を抱きながら読み比べました。ミサの中で読む福音書では人々(群集)はイエズス様を「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫びます。マントを敷き、小枝を敷いたのは「弟子たちの群れ」(ルカ19・37)でした。

 エルザレム入城を記念して祈る祈りの中に「キリストは、受難と復活をとおして救いのわざを完成するためにご自分の町エルザレムにお入りになりました。」と祈ります。イエズス様に従ってエルザレムまでついて来た弟子達はこの時「喜んで声高らかに神を賛美して、"主の名によって来られる王に祝福があるように"」と叫びました。弟子達はイエズス様のエルザレム入城が受難と十字架の死への道行きだと理解していたのでしょうか。

 『典礼暦の中で、主の受難を喜びと栄光の雰囲気で満たされた枝の主日の内に入れたことは、第一印象では奇妙なことです。しかし、これは矛盾ではありません。むしろ、神秘の中心です。宣言される神秘はこれです。

 イエスは自ら進んでご自分を受難に渡した。それは、ご自分よりも力強いものに押しつぶされたのではありません。主イエスは御父のみ旨に適い、待ち望まれたときが来たと悟って、御子として、人々への愛のために御父に従ったのです。』(2003年主日のひびき 日比野教会 テルッティ神父から)

 「初めに、神は天地を創造された」(創1・1)そして創造のわざを終えられた神は「それは、はなはだ良かった。」と言われました。しかし、人は神の言葉に従わず、「極めて良かった世界」を壊してしまいました。創造の究極目的をパウロは「万物を創られた神が、ご自分の栄光と同時にわたしたちの幸福をも配慮しつつ、ついに『すべてにおいてすべてとなられる』事と書いています。(Iコリ15・28) イエズス様のエルザレム入城は父である神の創造の目的をもう一度取り戻すことでした。

 そのためには受難と死という犠牲が必要でした。そして、それはわたしたちにとっては「罪の贖い」になりました。ここで「父のみ旨の実現」か「罪の贖い」か分けることは出来ません。マリア様の「無限罪のおん宿り」の神秘はそれを教えます。彼女は「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」 と天使に答えました。(彼女の自由意思によりこれを断っていればどうなっていたでしょう。)「極めて良かった世界」を壊したエバに代り神への従順をしめされました。

 聖週間が始まります。神のみ旨を上のように理解し神への感謝を深めていきたいと思います。



■ 2004.03.20

 「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は」の言葉は最後の晩餐のイエスの言葉「これはわたしの体である」「これはわたしの血であり、」を、また創世記15章の神のアブラハムに対する契約を、そして出エジプト24章の血によって聖別されたシナイ山の契約を思い起こさせる。

 ミサ奉献文の「いけにえ」(生贄)という言葉が気になりだして、そしてそれは今も続いていますが、「犠牲」とどう違うのかと悩んでいます。

 僕は幼児洗礼なので「犠牲」という言葉には特別の思いがあります。たとえば霊的花束を贈る場合、ミサ5回、ロザリオ3環、犠牲5回等々書きました。ここでの犠牲は「いけにえ」という言葉に置き変えられません。この犠牲は我慢すること、そしてその我慢を聖なるものにして捧げたのでした。

 そもそも「生贄」は人身御供も含めて「ニエとしてお供えするために「活かして」おくの意。生きたものを神に捧げるという事になる。

 イエス様の十字架の死は贖罪のための死でした。だから犠牲です。しかも「犠牲」に伴うのは破壊です。血です。わたし達は今も教会が大事にする秘跡によってイエス様の「人肉、血」を食べています。「これはわたしの体、とって食べなさい。これはわたしの血、飲みなさい。」



■ No.23 2004年3・4月号

わたしはここにいる

 昨年南山中高時代の同窓生、しかもクラブ活動が同じだった人から「'04は南山高校ラクビー部創部50周年を迎え記念親睦会を行なうので出席してください。」との案内をもらいました。そう僕はラクビー部に入っていました。ポジションはNo2のフッカー。このポジションにされた根拠もまだ覚えています。いわく「足が遅い、短いでも顔は怖そう」でした。スクラム組む時の最前列の場所です。そしてなつかしく思い、卒業アルバムを探し出ししばらく当時のことに思いを馳せました。各クラスが色紙に別れの言葉を書いています。あの人があんな事を書いている、と顔と言葉を重ねて今はどうしているのかなと考え込みました。僕の言葉は「われ呼べば、見えきたるなり」。八木重吉の言葉です。

 今日(27)のミサの第一朗読はイザヤ58章でした。その中に「あなたが呼ぶとき、主は答えられ、あなたが叫ぶとき、『わたしはここにおる』と言われる。」の言葉がありました。聖書朗読が終わってから「森のうた」の原稿が半分出来ました。それが上の文章です。なぜ八木重吉のその言葉を選んだのか思い出せません。卒業したら大神学校へ行くことになっていましたが、この頃八木重吉を読みその信仰を模範にしていたかも知れません。



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